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マンガ「カイジ 賭博黙示録」、福本伸行氏の代表作であり、最も不気味な最終作品である

福本伸行氏は、この「カイジ 賭博黙示録」の発表まで、特に、これといった代表作もなく、年齢的に高橋留美子や、細野不二彦といった同年齢のアニメーターから見れば、かなりテーマ性のない、「売れない作家」というレッテルを張られていた。

福本は、ここである決断をする。それは「今までタブーであった、バクチの世界をテーマにする」というもので、かなり反社会的勢力に対してアレルギーのあるマンガ界であったから、成功するか否か、まさに福本にとっても「賭博」であった。

彼は、この作品で「カイジ」というキャラクターを造形する。それは「極端におでこが狭く、あごがとがった、気の小さい青年」「社会のアウトサイダーであるが、社会矛盾には、徹底的に戦う」というテーマである。

このテーマ性と、反社会的勢力「帝愛グループ」という勢力を引き出し、その「中間管理職」的な立場に「利根川」という、これまた極端に残酷であるが、ボスには頭が上がらないキャラクターとの対決を図式化し、その手段として、「限定ジャンケン」「鉄骨わたり」「Eカード対決」を持ち出す。

ことごとく成功するカイジに対し、利根川はある種の「不安」を覚える。

Eカード対決では、これを制したカイジ、これに対して帝愛グループの会長「兵頭」は、怒りを覚え、「ワシに恥をかかせた」ということで、利根川は仕打ちである「焼き土下座」をするハメになってしまった。

この「焼き土下座」は、暴力団で失敗した部下に対して、実際に行われていたものであり、高熱の鉄板で「全身を鉄板に焼かせる」という、大変に「酷である仕打ち」を、世間に知らしめた。

カイジは、この最終対決で、耳にインプラントされた「脳波測定装置が、ある」ことを見破り、自らの「耳」を、そぎ落として、利根川との対決では、「耳を自らそぎ落とした」ことを言わずに、利根川との最終対決に勝利する。

福本カイジでは、女性キャラクターは1人しか登場しない。これは何かの暗示であるが、老害跋扈した反社会的勢力に、暗示的に違和感を感じさせるシナㇷ゚シス構成ではないか、と考えさせられる。

人間の生死を、興味対象として、ご高齢のエスタブリッシュメントが参加するエスポワールでの対決では背景構成をした。ここがこの作品の成功したポイントではないかと思う。

カイジは、この作品で一躍有名になり、その後連載要求が殺到したため、福本は「賭博破壊録 カイジ」等の連続作品を発表することになる。

意外にも、残酷無比な「利根川」に対し、同情の声が殺到し、彼の弟子「萩原天晴」が「中間管理職 トネガワ」をリリースすることとなった。この作品では、カイジにみられた「残酷性」はカットされて、利根川と、ボンクラ暴力団員とのコメデイに仕上げている。

この「カイジ」は、どれも面白いが、やはり初回作品である「賭博黙示録 カイジ」がとびぬけて面白い。

「・・・黙示録」とあるから、フランシス コッポラ」の「地獄の黙示録」を意識した感じを受ける作品である。

福本自身も「ユリイカ」で述べている通り、「(勝利に対する)カタルシスのない作品にした」と言っていることから、読み終えて、面白いが、後味がちょっと悪い、という感想を持った読者は多いのではないか、と思う。

マンガ界初めての試みであるが、「ヤクザ世界の仕打ち」に特化しているため、一般受けはしないと思われていた。ところが、大阪「読売テレビ」がこれをテレビ作品で取り上げたところ、効果音である「ざわざわ」という、勝負を盛り上げるシーンがテレビでは近年見る作品では大いに受けたことも事実である。

現実に「カイジ」は、今でも競馬新聞や、スポーツ新聞での競馬広告等に引用されて、現在でも人気がある。

この作品の原作アニメを購入した人の多くが、「面白かったけれど、残しておきたくない。あまりにも残酷すぎる」という方がほとんどではないかと思う。

筆者もその一人であり、カイジに関する「ユリイカ特集号」は保存しているが、原作「賭博黙示録 カイジ」は、すべて捨ててしまった。

面白いけれど、自宅には保存しておきたくない作品、、、これが「カイジ」の特徴であると思う。