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愛に苦しめられながらも愛を求める、ほとばしる魂たちの物語 ユゴー「ノートル=ダム・ド・パリ」感想

1482年1月6日、パリの街が祭りの熱狂に包まれる中、一人陰鬱な表情をした司祭は、観客の笑顔の中心で踊る少女に心奪われる。

異常なまでに愛情深く、異常なまでに真面目に生きてきた司祭は、自身の覚えた初めての感情に葛藤し苦悶しながらも、少女を手に入れようとする。司祭は、自身の忠実な従者である鐘番に命じて少女を誘拐させようとするが、そこから宿命が動き出す。

少女は、従者から彼女を救い出した警備隊長に一目惚れ。鐘番は、誘拐未遂で裁判にかけられ、群衆の蔑みの目の中で罰を受けている最中、情けをかけてくれた少女を愛するようになる。自分の気持ちを完全に撥ね付け、無視し、他の男に愛を注ぐ少女を、葛藤を深めた司祭は常軌を逸した行動で愛し、やがて事件を起こす――。

様々な要素が複雑に絡みあっていて、あらすじを説明しようとすると、どうしても重要な要素を落としてしまうほど。民衆の持つ無軌道であまりにも大きなエネルギー、作者・ユゴーのゴシック建築に対する愛、様々な(やや異常とも言える)愛の形――そういったものたちが、ノートル=ダム大聖堂を中心にして、いやというほど力強く描かれている。本作におけるノートル=ダム大聖堂は、単なる舞台装置や建物ではなく、宗教の象徴であり、歴史の象徴であり、鐘という獣を飼う檻であり、大きな楽器であり、人間に安息と束縛を与える聖域であり、群れを成した人間と戦う妖艶なモンスターでもありと、様々な側面を見せ、主役と言っても過言ではないほどの存在感を放っている。特に、終盤炎に包まれて赤くかがやくシーンは、読んでいるだけで頭の中にその光景がくっきりと浮かび、あまりの美しさに恍惚となる。

かなり映像的な作品だと感じた。らんちき法王を担いだパレード、魑魅魍魎(と見まがう人間)うごめく奇跡御殿、車輪の上の刑罰、鐘番が少女を火刑から救う際のアクロバティックな救出劇、炎上するノートル=ダム大聖堂、ぜひとも映画にしてほしい、と感じた。けれども、文章から想像される光景があまりに魅力的すぎるから、映画化したら却って物足りなく感じるかもしれない。

司祭の愛はあまりにも重すぎて、彼の弟や少女のような常人には、まったくもって受け止めきれやしないものだった。そんな彼の愛情をまともに受け止められたのは、彼とはまた違う孤独を抱えた鐘番だけだったのかもしれない。司祭の愛の示し方には寒気さえ覚えるのだが、それゆえ彼が報われないのだ、ということを思うと、胸が締め付けられるような寂しさを覚える。

鐘番は、少女と出会う前と出会ったあとでは、まるで別人のような変化を遂げるので驚かされる。醜い容姿ゆえに嫌われ蔑まれ、人間を憎んでいた意地の悪い男が、優しさにふれて初めての恋をし、細やかな気遣いを見せるようになる様を見ていると、なんだか心が温かくなった。彼の愛は、細やかなくせに不器用で、しかもただただ献身的。こんなに素晴らしい愛情の持ち主に気づかないなんて、少女はとてももったいないことをしたと思う。

少女は、前に挙げた2人に比べれば、あまりにも普通の少女だ。誰をも惑わすような溌溂とした美貌をもってこそいるけれど、美しいけれど軽薄な警備隊長に一目惚れをし、盲目的に信じ続ける様は、たんなる思春期の女の子でしかない。そんな彼女に、重すぎる司祭の愛や、気付くのが難しい鐘番の愛を受けとめるなど、どだい無理な話だったのだと思う。「宿命」に巻き込まれさえしなければ、もっと普通の恋をして普通に生きていたのではないかと思うと、彼女はとても不運だったと感じた。

序盤と終盤に登場する群衆シーンが、とにかく圧倒的。群衆がひしめき合い、口々に何かを叫び、ぶつかり合う音が聞こえてきそうなほど。各々違った考え・背景・事情を持ちつつも、大きな流れの中に身を投じ、流れの一部となっていく様は、色々な意味で恐怖を感じる。