最近、テレビやネットなど多くのメディアで発達障害について取り上げられることが多くなりました。発達障害は人によって症状が様々なので、診断に長く時間がかかります。
実際には専門家が発達障害と断定する子供はそう多くはありませんが、発達に偏りのある子供はたくさんいます。
発達障害は、脳の機能の問題なので、親の育て方が悪いとは言えませんが、親の役割は大きいです。
まずは子供の現状をしっかりと把握することです。なにもかも完璧に出来る必要はありませんが、子供の得意なこと不得意なこと、子供が困っていること、幼稚園や学校の友達が困っていることなどをしっかり把握します。
社会性が身に着けば、子供の得意、不得意は個性です。
社会性が身についていれば、なにもかも平均的に出来る子供よりも、
得意なことがひとつある子供の方が人生を豊かに過ごせます。
社会性の中でも一番重要なのは、「あぶない」を理解させることです。
あぶないが理解できないと、ケガをしたり、させたりします。一歩間違うと命にかかわることだからです。
あぶないと言っても理解できないのであれば、「いたいいたい」になると言い換えても良いです。
くりかえし教えます。
小学校は基本的に子供だけで登校しますので、歩いている時は車に十分気を付けるように
繰り返し教えます。
ハサミなどの刃物だけでなく、えんぴつやカサなどの道具も使い方を間違うと危険です。
この程度ならいいかとあいまいにせずに、正しい使い方だけするようにさせます。
あいまいな指示はわかりませんので、「きちんとする」「ちゃんとする」などの
言葉は使わないようにします。
座っていないといけない場合は、「立ちません」よりも「座ります」といったほうが
どうしたらよいか、わかりやすくなります。
どうしてもさわってはいけないものは、ストーブやコンロなどは絵にかいて×印を書くようにします。
大勢の人がいるところが苦手、
知らない場所、知らない人がいる場所が苦手
大きな声や声の響く感じが苦手
写真が苦手
こだわりが強い
食べ物の好き嫌いが激しい
などがある場合は発達に偏りがあると考えたほうがいいです。
多くの場合、座っていられないことが問題になります。
これは筋力が弱く、体を支えていられないこともあります。
体幹をきたえるように工夫することで、座っていられるようになります。
座っていられないから、立ち歩いてしまって、目にした他のものが気になってしまうのです。
子供によってどのような方法がわかりやすいのか、探ってみます。
発達に偏りのある子供は、目からの情報は理解しやすいので、
いつもと違うことは、絵や写真を使って説明します。
旅行など出かける時に便利です。
電車→遊園地→お昼ご飯といった感じです。
交通ルールや歯磨きなどは歌にするのもいい方法です。
テレビの子供番組の歌を歌ったり、替え歌を作ったりしてみましょう。
外から戻ったら手を洗うなどのルーティーンは、番号を付けるとわかりやすいです。
1番はくつを脱ぎます。2番は石鹸で手を洗います。といった具合です。
理科や社会はもちろん、算数や国語もなるべく実体験させます。
1+1は理解できなくても、あめやりんごを使って説明するとわかりやすいからです。
国語の教科書に、メダカが出てきたらメダカを見に行く、
消防車が出てきたら、消防署へ行ってみる工夫をします。
机の上の勉強は机の上だけになりますが、
実体験した物は忘れませんし、使えるようになります。
もちろん、これらの経験は発達に偏りのない子供にも有効です。
発達に偏りのある子供は、親のしつけのせいではありませんが、
その子供にあった方法を見つけることで、激変します。
エジソンも電気を発見したベンジャミンも学校には馴染めず
学校に通っていませんが、親が根気よく教えることで
能力を発揮しています。
発達障害で本人は困った状態にあるのに
親が努力をしないばかりか、ネグレクト状態にあって
どんどん状態が悪くなっている子供を見かけます。
小学校低学年くらいなら、授業を聞かない子供だくらいですみますが、
学年があがってくると知恵もついて来て
他のお友達のものを取ったり、隠したり、
ウソをついたり、ルールを守らずに迷惑を掛けたりします。
ネグレクト状態にあると愛情に飢えているので
怒られてでも構ってもらおうとして、悪さをするようになります。
早い時期に対処が必要です。
担任の先生も専門知識があるとは限らないので、
困った状況の時はすぐに専門家に相談します。
専門の病院は少なく、予約も取りにくい状況なので
遅くなるほど、事態は悪化します。
社会性が身に着けば、
「虫博士」「魚博士」など、こだわりを活かすことが出来ます。
平均的な子供よりも、得意なことのある子供のの方が人生は豊かです。
まずはあぶないを認識させることからスタートして
子供の得意を伸ばせるように工夫してください。
どこに住んでいても、いくつになっても
身の回りのことができる自立は必要です。