楽しく生きたい

30代都内くたびれたリーマンが日々思うことをつらつら書いていきます

「メアリと魔女の花」は、過去の宮﨑駿作品をトレスしたの?デジャヴのようなシーンの連続と腑に落ちないストーリー展開。

 かなり大々的に宣伝していたし、「借りぐらしのアリエッティ」「思い出のマーニー」と同じ米林宏昌監督と聞いて、ぜひ見てみたい作品でした。でも、実際に見てみると、当初の期待とは異なる要素ばかりで、戸惑ったままエンドロールを迎えてしまいました。

 まず、映像について「絵がきれい」「音楽が良い」というポジティブな感想もあるようですが、私にはよくわからなかったです。たしかに、映像や音楽が美しくないわけではないです。ヨーロッパの田舎の風景や植物、主人公メアリが空を飛ぶシーンなど、背景は普通に美しい。でも、「わぁ!」と驚くほどでもないので、観終わった後にあまりにも感想が浮かばず。むしろ、絵について最も印象に残っているのは、過去の宮崎駿監督作品に酷似した絵やシーンの数々。「魔女の宅急便」「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」などなど、「あ、これ前に宮崎作品で見たな」というシーンが非常に多かったです。

 ストーリーについても、これまでの2作品とあまりにも質が異なるので、とても驚きました。要は、結局何を言いたかったのかさっぱりわからない。あまりにわからないので、いろいろと考えて自分なりに飲み下そうとしているうちに、映画が終わっちゃった…という感じでした。「アリエッティ」や「マーニー」では、こんな感想は持たなかったのに。

 これまでの2作品と何が違うのかを考えると、「メアリ」では登場人物のバックグラウンドや人物同士の関係性がほとんど扱われなかったように思います。このことは、非常に残念に感じられました。というのも、登場人物についての描写が薄いために、主人公メアリのストーリーを貫くために、周囲に都合よく寄せ集められた人々のように感じられるのです。

 とくに、メアリの小さな嘘のせいで魔法大学にとらわれる少年ピーター。ピーターはメアリが引っ越してきた家の近所に住んでいて、メアリとはたった2度接触しただけ。それなのに、生きるか死ぬかの大事件に巻き込まれてしまう。なぜ、事件に巻き込まれるのがピーターでなければならなかったのか、その意味合いは私にはつかめませんでした。おそらくは、「今の自分を変えたい」と願うメアリと、同じような願いを持つ人物としての人選でしょうが、そうであればピーターがなぜ自分を変えたいと願っているのか、もっと詳細に伝えるべきだったでしょう。「生活が苦しく、母親に苦労をかけている」という浅い情報だけでは、ピーターの「変わりたい」という願いに全く感情移入できません。なぜ父親がいないのか、どれほど生活に困っているのか、「大人になりたい」と願うピーターが大人になって何がしたいのか、疑問ばかりが浮かんでしまいます。

また、そもそものストーリーにも、多々疑問が残ります。なぜメアリは大叔母の家に引っ越したのか、なぜ大叔母は昔魔女だったのか、そしてなぜ今は魔女の力を失っているのか、エンディングまで何一つ明らかになりません。普通、物語の流れの中で疑問が生じたり、引っかかりがあると、伏線ではないかと期待するし、この後どのように回収されて謎が解けていくのか楽しみにしますよね?こんなに、撒くだけ撒いた疑問の種を放置したままに物語を閉じられても、伏線が回収されなかった落胆しか残りません。

 もし仮に、「伏線」のつもりではなく、ただ物語に必要のない部分と判断して省略したのであれば、あまりにもストーリー作りが雑ではないでしょうか。省くのであれば潔く扱わない、扱うのであれば丁寧にという選択肢もあったのではないかと思ってしまいます。結局、この雑と言わざるを得ないストーリー展開からも、“メアリのストーリーをかたくなに守るために、周囲の登場人物でつじつまを合わせている感じ”がにじみ出てしまっている感じがするので、「この映画で何を言いたかったの?」という疑問が生じるのでしょう。

 最後に触れておきたいのは、絵にしろ登場人物やストーリーにしろ、やはり宮崎駿作品に酷似する部分が多いということです。絵やアニメ表現については先述の通りですが、登場人物や設定まで似ています。例えば、マンブルチュークと「ハウル」の荒れ地の魔女は、昔は素晴らしいスペシャリストだったのに現在は道を外れてしまっている魔女という点で似ています。少女が不思議な場所に迷い込み、受難しながらも成長するという設定は「千と千尋の神隠し」と同じですね。

しかし、設定が似ているにもかかわらず、オリジナルとは人物の描き方の厚みが違うのです。ピーターも「魔女の宅急便」のトンボに設定が似ています。でも、メアリとピーターはキキとトンボとは異なり、心を通わせる過程が断片的すぎて、2人の心の交流はとても無理があるように感じます。つまり、“魔女と少年”という設定はトレスしているのに、人物同士のやりとりがあまりにも無機質で、冷たく感じてしまうのです。前作の「マーニー」では、登場人物同士の感情のやりとりが率直に描かれていただけに、とても残念に感じてしまいます。

 いろいろ書きましたが、ジブリ出身の監督はどうしても宮崎作品に引っ張られてしまうのでしょうか?せっかくジブリを離れたのだから、次回作では米林監督らしい率直な感情を投げ合う登場人物を描いてほしいと願います。